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世界銀行総裁の最有力候補であるジム・ヨン・キム氏(52)は一部で不適任と批判を受けている。世銀は世界中で年間何百億ドルもの融資を行っている金融機関だが、同氏はかつて、米ダートマス大学の学長に就任した3年前まで「ヘッジファンドが一体何なのか分からない」ことを認めていた。
医師で人類学者でもあるキム氏は当時、2008年の金融危機がきっかけとなって生じた同大学の財政問題に悩まされ、財務に関する2日間の特別講習を受けた。 同氏が次期世銀総裁に決まると、オバマ政権の推薦する同氏は、前任者とは異なる経歴の持ち主で総裁に就任することになる。ウォール・ストリート・ジャーナルが過去20年間の同氏の学術論文、証言、それにその他の発言を調べたところ、公衆衛生分野の国際的な専門家である同氏は貧困国への海外支援を繰り返し求めているが、世銀の扱う多くの典型的な財政・経済問題について、経験不足がうかがわれるからだ。 同氏はこれまで、公衆衛生の分野を中心に活動してきた。幅広い開発問題について掘り下げる際、同氏はほぼ常に公衆衛生の立場から検証し、貧困国の問題解決のために先進国が十分な資金を拠出していないことを批判していた。 同氏はまた、米国や海外の公衆衛生問題の対処を目的とした資金調達プログラムを理由に、共和党出身の大統領、例えばニクソン元大統領、ブッシュ前大統領を称賛している。 オバマ政権当局者に同氏とのインタビューを要請したが、断られた。同氏は支持を取り付けるための海外歴訪を終えるところだ。 批判が高まっているにもかかわらず、同氏の総裁就任は事実上確実な情勢だ。世銀への出資比率が最も高い米国が同氏を支持しているからだ。 世銀理事会は9日に3人の候補者との面談を開始する見通しで、キム氏とは11日に面談し、月末までには次期総裁を発表する予定だ。一部の候補者はまた、9日以降にワシントンで開かれる公開フォーラムに出席する。 同氏は先月に総裁候補に挙がって以降、激しい批判を浴びている。世界中の開発分野の専門家、政府関係者、それに報道機関が一種の「造反」を開始している。 反対派の多くは残りの2人の候補者であるナイジェリアのオコンジョイウェアラ財務相とコロンビアのオカンポ元財務相の方が適任だと述べている。世銀総裁に複数が立候補しているのは今回が初めて。米政府は第二次世界大戦後に世銀が設立されて以降、一貫して総裁ポストを埋めている。 オバマ政権は、海外からの批判に直面しているにもかかわらず、引き続き同氏を強く支持している。米政府は大統領選挙を控え、共和党からの批判リスクを避けるためにも、米国出身者の就任を主張するとみられていた。 米国は長年、国際通貨基金(IMF)専務理事については欧州の推す候補を支持しており、実際昨年もそうした。その代わり、世銀総裁については米国の推す候補を支持してもらっている。 キム氏と同氏の支持者は、同氏がアフリカからアジアにわたる村々で実際に活動した経験があることから、途上国にはびこる問題に対処する上で、他の候補者よりも適任だと指摘している。 同氏のダートマス大学での経験は、公衆衛生分野を超えて財務問題に取り組む同氏のアプローチをうかがわせる数少ない機会の一つだ。同氏が09年に学長に就任した際、同大学への寄付金は前年比23%減の28億ドルに落ち込んだ。 キム氏は2年前、寄付金の減少問題についてウォール・ストリート・ジャーナルに語った際、ダートマスに来る前は「投資に関わったことが一度もなく、ヘッジファンドが一体何なのか知らなかった」と述べていた。その後同氏はベンチャーキャピタルを運営している同大学の同窓生から2日間の集中講義を受けた。 それでも同氏はその分析的なスタイルでおおむね好意的な評価を受けている。同大学のエコノミスト、マシュー・スローター氏は、同氏の予算赤字問題へのアプローチは同氏が問題を即座につかむことのできる「データおたく」であることを示していたと語っている。スローター氏は「彼は問題の本質にオープンに接する。学内に意思決定をする派閥があるような感じではない」と述べた。 記者: Sudeep Reddy 2012年 4月 9日 12:52 JST
【パリ時事】フランス北部リールの捜査当局は21日、国際通貨基金(IMF)のストロスカーン前専務理事(62)を拘束して取り調べを始めた。売春あっせん共犯や横領隠匿の容疑という。
仏各メディアによると、ストロスカーン氏は2010~11年、パリやワシントンで行われた売春パーティーに参加。費用を負担した実業家2人は、横領などの容疑で刑事訴追されている。(2012/02/21-22:43)
48歳で急逝したホイットニー・ヒューストンさんは、1980年代半ばから90年代にかけて世界で最も輝いた歌手の一人だった。しかし、次第に薬物依存にむしばまれ、近年は歌よりゴシップが話題となる存在に。いくつものスキャンダルは、芸能界に広がる薬物汚染の恐ろしさもあらためて印象づけた。
母はゴスペル歌手で、女性ポピュラー歌手ディオンヌ・ワーウィックさんはいとこ。大きく開いた口から響く、透き通った力強い高音の歌声は、少女時代から教会のゴスペルで鍛えられたものだ。 才能を見いだした大物プロデューサー、クライブ・デイビスさんは「初めて歌声を聞いたとき、背筋がぞくっとした」と振り返る。 デビュー後は世界中のファンを魅了。公式サイトによると、85年から88年まで発表した7曲が続けて全米のヒットチャート首位になったという記録は今も破られていない。文字通り一世を風靡し、クリスティーナ・アギレラさんやマライア・キャリーさんら、次世代の女性シンガーらに大きな影響を与えた。 ただ、R&Bなど伝統的な黒人音楽のスタイルとは一線を画したことから、白人の聴衆にも受け入れられようと「自分のルーツを軽視している」との批判も。 92年にR&B歌手のボビー・ブラウンさんと結婚したのは、そんな批判を払拭したい意識が働いたとみる向きもあった。 ブラウンさんは薬物所持などでたびたび逮捕された。ヒューストンさんは2000年に自身の大麻所持が発覚した後、ブラウンさんと一緒にコカインを使用していたことを告白。07年には離婚。ヒューストンさんは昨年も依存症の治療を再開したと報じられた。 09年に50歳で急死したマイケル・ジャクソンさんは、不眠のため常用していた麻酔薬で命を落とした。昨年、27歳で急死した英国のグラミー賞歌手エイミー・ワインハウスさんも薬物依存に苦しんでいたと伝えられ、華々しく活躍するスターたちの間で、薬物はまん延し続けている。 ヒューストンさんは02年、米テレビのインタビューで「10年後の自分」をどう想像するかと聞かれ「引退してのんびりしている。娘は立派に成長して、孫もね」と語った。しかし、ちょうど10年後の今年、誰も予想しなかった早すぎる死を迎えた。(ロサンゼルス=共同) 2012/2/12 23:04
産業能率大が毎年、企業経営者に尋ねている「今年の社長」の1位に、2年連続でソフトバンクの孫正義社長が選ばれた。東日本大震災後に大規模な自然エネルギー推進を訴えたことなどが、「動きが早く、信念が揺らがない」(土木・建設業)と評価された。
2位は10月に死去した米アップルのスティーブ・ジョブズ前最高経営責任者(CEO)。「凡人には思いもよらぬアイデアが浮かぶ」(出版・印刷業)、「2011年の象徴。商品だけでなく文化を創った」(土木・建設業)との声が寄せられた。3位は衣料品店「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長。 初登場では、プロ野球・横浜ベイスターズを買収したディー・エヌ・エー(DeNA)の守安功社長が7位に。損失隠し問題に揺れるオリンパスのマイケル・ウッドフォード元社長も、「自社の不正を暴いた」(卸売・小売業)と、8位に入った。 2011年12月26日0時34分
[東京 25日 ロイター] 米著名投資家ジム・ロジャーズ氏は25日、東京都内で講演し、日本の株式と円に強気の見解を示す一方、欧州と新興国の株式には弱気との見方を示した。
欧州の問題は根深く、信用問題がスペイン、イタリアに急速に広がってきたことで、金融機関の経営に問題が広まり、それが経済全体にも問題を引き起こすことになるのが懸念材料と述べた。長らく低迷してきた日本株は買いの好機との見方を示し、ユーロやドルの経済圏が混乱するなか、円は逃避先として資金流入が見込まれるとの見方を示した。 ロジャーズ氏は日本株について、過去20年以上、日本株投資をしてきた投資家で「いい思いをした人はいなかった。だからこそいま楽観的に考えられる」と指摘。なかでも、農業関連や天然資源関連の銘柄は買いとの投資戦略を語った。「世界的に農業問題が深刻化する時期にあり、農業は今後20─30年で最も成長の見込める分野」と話した。 <キティファン> 自身の私生活を振り返りながら、かつては人生のなかで子供は時間の無駄と考えていたが、現在2人の娘を授かり、その考えは間違っていたと分かったと述べたうえで、「私の家族にはハローキティ―のファンがおり、サンリオ(8136.T: 株価, ニュース, レポート)の株式も投資している。タカラトミー(7867.T: 株価, ニュース, レポート)の株も持っている」と語った。 <証券株、野村より大和が買い> また、日本株のなかでは、多くの投資家が弱気の証券株も魅力的としたうえで、「野村ホールディングス(8604.T: 株価, ニュース, レポート))がリーマンブラザーズを買収したのは良くない判断だった。私なら野村の株は買わず大和(8601.T: 株価, ニュース, レポート)を買う」とコメントした。 ロジャーズ氏は、野村のリーマン買収に好印象がない理由として、リーマン買収時に旧リーマン社員に非常に高額の給与やボーナスを約束し、人材を確保したが、その契約期間が切れると辞めていった人材が多かったと指摘。そのうえで、「大和はリーマンを買わずにいて賢明だったと思う時が来るのかもしれない」と語った。 一方、為替については、欧州のソブリン問題や世界的なマクロ環境の不透明さを考えると、円が逃避先として買われやすい環境になるとし、一段の円高を予想した。ロジャーズ氏は、「どの程度の期間、円にブル(強気)かは分からない」としながらも、「為替、経済、社会的な混乱がさらに発生すると予想され、その間、日本がセーフヘイブンになる。2─3年は日本の円がさらに高くなるだろう」と述べた。 (ロイターニュース 江本 恵美、編集:宮崎大) 2011年 11月 25日 16:45 JST
【福島県いわき市】米著名投資家ウォーレン・バフェット氏(81)は21日、3月11日の東日本大震災と津波の発生でも、日本に対する自身の投資見通しは変わっていないと表明した。一方、債務危機が続く欧州については、直接投資の計画はないと述べた。
投資会社バークシャー・ハザウェイの会長兼最高経営責任者(CEO)を務めるバフェット氏は初来日での記者会見で、「津波の発生を受けても、日本人や日本の企業は変わっていない」と発言。 バフェット氏はさらに、オリンパスをめぐる最近のスキャンダルでも、日本に対する自身の投資見通しは変化していないとし、こうしたスキャンダルが「優良企業に影響することはない」との見方を示した。オリンパスは数十年に及ぶ巨額の投資損失隠しを認めている。 同氏は、2008年にオランダのIMCインターナショナル・メタルワーキング・カンパニーズの完全子会社となった福島県いわき市に本社を置く、超硬工具・素材製造のタンガロイの工場を視察した。バークシャーはIMCに出資している。 バフェット氏は当初、3月22日に同工場の視察を計画していたが、東日本大震災のため取り止めた。 バフェット氏は同工場にヘリで到着し、工場の約400人の従業員やいわき市の市長、福島県の副知事などから温かい歓迎を受けた。バフェット氏は同工場で短い演説を行った。この工場は福島第1原発から約40キロ離れた場所にある。 日本以外の市場に関しては、欧州への直接投資の計画はないと述べた。バフェット氏のこの発言を受けて、ユーロは対ドルで1.3516ドルから1.3471ドルまで下落した。同氏は、米国経済の見通しは明るいとの見方を示し、米国市場での投資を続けたいとした。 記者: Atsuko Fukase 2011年 11月 21日 17:32 JST
11月21日(ブルームバーグ):米著名投資家で米投資・保険会社バークシャー・ハサウェイを率いるウォーレン・バフェット氏(81)が21日、投資先の工具メーカー、タンガロイが福島県いわき市で開催する新工場の完成式典に出席する。来日は今回が初めてで、市場では同氏の今後の日本に対する投資姿勢に関心が集まっている。
式典は当初、3月22日に予定されていたが、東日本大震災の発生を受け延期された。バフェット氏は5月、バークシャーが本社を置く米ネブラスカ州での年次株主総会後の会見で日本について「経済規模が極めて大きく安心して投資できる国の1つ」などと指摘した。同氏は式典後の21日夕、いわき市の新工場内で記者会見を開く予定だ。 割安な銘柄に長期投資する「バリュー投資の父」と称されるバフェット氏は、米飲料最大手のコア・コーラや住宅金融大手のウェルス・ファーゴなどに20年以上投資している。アメリカン・エキスプレス、ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)などを保有する。 バークシャーは2011年に入り株式購入を拡大。特に株価が大きく下落した第3四半期(7-9月)に239億ドル(約1兆8300億円)を投じた。米ルブリゾールを90億ドルで買収したほか、バンク・オブ・アメリカ(BOA)の優先株や、半導体メーカーのインテル、電子決済ネットワークのビザ株式なども購入した。 被災地訪問の意味 大震災から8カ月以上が経過する中、日経平均株価は11月18日終値で8374円と震災直後の安値8605円を下回り低迷を続けている。スパークス・グループの阿部修平社長はバフェット氏来日について、被災の中心地を訪れる意味は大きく、今後日本にもっと投資していくのではないかとの期待もあるなどと指摘した。 バークシャーの7-9月期の純利益は、デリバティブ投資の価値下落で前年同期比24%減の22億8000万ドルとなった。10月には米ゼネラル・エレクトリック(GE)が金融危機下の2008年10月に発行した優先株の買い戻しで33億ドルを受け取り、今月14日には米IBMの株式5.5%を107億ドルで取得し大株主になっている。 米誌フォーブスによると、バフェット氏は2011年世界長者番付でメキシコの富豪カルロス・スリム氏(740億ドル)、米マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ会長(560億ドル)に次いで3位(500億ドル)。米富裕層への増税や、ゲイツ氏らとともに資産を慈善事業に寄付する「ギビング・プレッジ」を働きかけるプロジェクトなどを展開している。 更新日時: 2011/11/21 00:00 JST
風邪による発熱が続いていた天皇陛下は6日夜、東京都文京区の東京大病院に入院した。宮内庁によると、77歳の陛下には最近軽い気管支炎の症状があったが、今回は発熱が続き、気管支炎がより重くなってきたため、大事を取って入院を決めたという。政府は6日夜、持ち回り閣議で、7日に予定されている勲章の授与式など国事行為の臨時代行に当分の間、皇太子さまが当たることを決めた。
陛下は3日午後に発熱し、4日の文化勲章受章者らを招いた皇居・宮殿での茶会やデンマーク王子夫妻との会見、6日の式典出席などを取りやめていた。6日夕に宮内庁病院で診察を受け、入院を決めた。同庁は、疲労が相当蓄積して体の抵抗力が低下している状況と思われる、としている。 病気の治療で陛下が入院し、皇太子さまが国事行為を臨時代行するのは、03年1月に東京大病院で前立腺がんの手術を受けて以来8年ぶり。皇太子さまの臨時代行は、陛下の海外訪問時にも手続きが取られており、09年7月以来となる。 天皇陛下はこの日、タートルネックにスラックス姿で車に乗り、皇后さまと一緒に午後8時過ぎに同病院に入った。マスクなどはしておらず、しっかりとした足取りで院内に入り、出迎えた病院スタッフに笑顔で応えた。【大久保和夫、真鍋光之、池田知広】 毎日新聞 2011年11月6日 20時42分(最終更新 11月7日 0時07分)
米スタンフォード大卒業式(2005年6月)にて
2011/10/9 12:00日本経済新聞 電子版 亡くなったスティーブ・ジョブズ氏は多くの印象的な言葉を残した。中でも2005年に米スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは、自らの生い立ちや闘病生活を織り交ぜながら、人生観を余すところなく語り、広く感動を集めた。「ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ」。今も語り継がれるスピーチの全文を、日本語訳と英語原文で紹介する。 ◇ 世界でもっとも優秀な大学の卒業式に同席できて光栄です。私は大学を卒業したことがありません。実のところ、きょうが人生でもっとも大学卒業に近づいた日です。本日は自分が生きてきた経験から、3つの話をさせてください。たいしたことではない。たった3つです。 まずは、点と点をつなげる、ということです。 私はリード大学をたった半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの1年半は大学に居座り続けたのです。ではなぜ、学校をやめたのでしょうか。 私が生まれる前、生みの母は未婚の大学院生でした。母は決心し、私を養子に出すことにしたのです。母は私を産んだらぜひとも、だれかきちんと大学院を出た人に引き取ってほしいと考え、ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。ところが、この夫婦は間際になって女の子をほしいと言いだした。こうして育ての親となった私の両親のところに深夜、電話がかかってきたのです。「思いがけず、養子にできる男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」と。両親は「もちろん」と答えた。生みの母は、後々、養子縁組の書類にサインするのを拒否したそうです。私の母は大卒ではないし、父に至っては高校も出ていないからです。実の母は、両親が僕を必ず大学に行かせると約束したため、数カ月後にようやくサインに応じたのです。 そして17年後、私は本当に大学に通うことになった。ところが、スタンフォード並みに学費が高い大学に入ってしまったばっかりに、労働者階級の両親は蓄えのすべてを学費に注ぎ込むことになってしまいました。そして半年後、僕はそこまで犠牲を払って大学に通う価値が見いだせなくなってしまったのです。当時は人生で何をしたらいいのか分からなかったし、大学に通ってもやりたいことが見つかるとはとても思えなかった。私は、両親が一生かけて蓄えたお金をひたすら浪費しているだけでした。私は退学を決めました。何とかなると思ったのです。多少は迷いましたが、今振り返ると、自分が人生で下したもっとも正しい判断だったと思います。退学を決めたことで、興味もない授業を受ける必要がなくなった。そして、おもしろそうな授業に潜り込んだのです。 とはいえ、いい話ばかりではなかったです。私は寮の部屋もなく、友達の部屋の床の上で寝起きしました。食べ物を買うために、コカ・コーラの瓶を店に返し、5セントをかき集めたりもしました。温かい食べ物にありつこうと、毎週日曜日は7マイル先にあるクリシュナ寺院に徒歩で通ったものです。 それでも本当に楽しい日々でした。自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができたました。キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。 もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。 繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。 2つ目の話は愛と敗北です。 私は若い頃に大好きなことに出合えて幸運でした。共同創業者のウォズニアックとともに私の両親の家のガレージでアップルを創業したのは二十歳のときでした。それから一生懸命に働き、10年後には売上高20億ドル、社員数4000人を超える会社に成長したのです。そして我々の最良の商品、マッキントッシュを発売したちょうど1年後、30歳になったときに、私は会社から解雇されたのです。自分で立ち上げた会社から、クビを言い渡されるなんて。 実は会社が成長するのにあわせ、一緒に経営できる有能な人材を外部から招いたのです。最初の1年はうまくいっていたのですが、やがてお互いの将来展望に食い違いがでてきたのです。そして最後には決定的な亀裂が生まれてしまった。そのとき、取締役会は彼に味方したのです。それで30歳のとき、私は追い出されたのです。それは周知の事実となりました。私の人生をかけて築いたものが、突然、手中から消えてしまったのです。これは本当にしんどい出来事でした。 1カ月くらいはぼうぜんとしていました。私にバトンを託した先輩の起業家たちを失望させてしまったと落ち込みました。デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会い、台無しにしてしまったことをわびました。公然たる大失敗だったので、このまま逃げ出してしまおうかとさえ思いました。しかし、ゆっくりと何か希望がわいてきたのです。自分が打ち込んできたことが、やはり大好きだったのです。アップルでのつらい出来事があっても、この一点だけは変わらなかった。会社を追われはしましたが、もう一度挑戦しようと思えるようになったのです。 そのときは気づきませんでしたが、アップルから追い出されたことは、人生でもっとも幸運な出来事だったのです。将来に対する確証は持てなくなりましたが、会社を発展させるという重圧は、もう一度挑戦者になるという身軽さにとってかわりました。アップルを離れたことで、私は人生でもっとも創造的な時期を迎えることができたのです。 その後の5年間に、NeXTという会社を起業し、ピクサーも立ち上げました。そして妻になるすばらしい女性と巡り合えたのです。ピクサーは世界初のコンピューターを使ったアニメーション映画「トイ・ストーリー」を製作することになり、今では世界でもっとも成功したアニメ製作会社になりました。そして、思いがけないことに、アップルがNeXTを買収し、私はアップルに舞い戻ることになりました。いまや、NeXTで開発した技術はアップルで進むルネサンスの中核となっています。そして、ロレーンとともに最高の家族も築けたのです。 アップルを追われなかったら、今の私は無かったでしょう。非常に苦い薬でしたが、私にはそういうつらい経験が必要だったのでしょう。最悪のできごとに見舞われても、信念を失わないこと。自分の仕事を愛してやまなかったからこそ、前進し続けられたのです。皆さんも大好きなことを見つけてください。仕事でも恋愛でも同じです。仕事は人生の一大事です。やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。決して立ち止まってはいけない。本当にやりたいことが見つかった時には、不思議と自分でもすぐに分かるはずです。すばらしい恋愛と同じように、時間がたつごとによくなっていくものです。だから、探し続けてください。絶対に、立ち尽くしてはいけません。 3つ目の話は死についてです。 私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていることをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、何かを変えなければならない時期にきているということです。 自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。 1年前、私はがんと診断されました。朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。つまり、死に備えろという意味です。これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。別れを告げなさい、と言われたのです。 一日中診断結果のことを考えました。その日の午後に生検を受けました。のどから入れられた内視鏡が、胃を通って腸に達しました。膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと妻がいうのです。手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。 人生で死にもっとも近づいたひとときでした。今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。このような経験をしたからこそ、死というものがあなた方にとっても便利で大切な概念だと自信をもっていえます。 誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。 あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。 私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。 スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。 ハングリーであれ。愚か者であれ。 ありがとうございました。
米アップルの会長で共同創業者のスティーブ・ジョブズ氏が5日、死去した。56歳だった。
ジョブズ氏の家族は、アップルが発表した声明の中で、ジョブズ氏は「家族に見守られて本日安らかに息を引き取った。多くの皆さんがわたしたちともに彼の死を悼むことと思うが、悲しみにくれるわたしたちのプライバシーを尊重していただきたい」と述べた。 アップルは死因を明らかにしていない。ジョブズ氏は膵臓(すいぞう)がんと闘っており、数年前には肝臓移植を受けている。今年8月、最高経営責任者(CEO)を退任し、ティム・クック氏に引き継いだ。 クック氏は従業員宛ての書簡で、「アップルは先見性に富み、創造力にあふれた天才を失った。そして世界は驚くべき人物を失った」とし、「われわれは彼が愛した仕事に打ち込むことで彼の思い出に報いよう」と語った。 ジョブズ氏は、30年以上に及ぶキャリアの中で、かつては果樹園が広がるのどかな土地であったシリコンバレーをIT(情報技術)業界のイノベーションの中心地へと変ぼうさせる上で大いに貢献した。 マイクロソフトの共同創業者、ビル・ゲイツ氏やオラクルの創業者、ラリー・エリソン氏らIT業界の先駆者たちと共に業界の基礎を作り上げるとともに、優れたデザインには技術力を陵駕する魅力があることを証明し、デジタル化が進む社会において消費者のテクノロジーとのかかわり方を大きく変えた。 ゲイツ氏は5日、声明で「スティーブのように強い影響力を持つ人物は世界でもまれだ。その影響は今後も数世代にわたり残るだろう」と述べた。 ジョブズ氏は晩年にとりわけ大きな功績を残した。携帯音楽プレーヤー「iPod(アイポッド)」やスマートフォン(高機能携帯電話)「iPhone(アイフォーン)」、タブレット端末「iPad(アイパッド)」などのヒット商品を立て続けに世に送り出し、家電やデジタルメディア業界を一変させた。 ジョブズ氏の巧みな広告キャンペーンやアップルストアを通じたマーケティングや販売手法は、アップルをポップカルチャーのアイコン的存在へと変ぼうさせた。 その初期段階において、ジョブズ氏はかつて自らの哲学について「芸術と技術の交差点」となる製品を作ることだと語った。それを実践することで、アップルを時価総額3500億ドル(約27兆円)の世界で最も価値ある会社へと変えた。 08年半ばごろから体重が著しく減少し、09年に約半年間病気療養のために休職、その期間に肝臓移植手術を受けた。今年1月半ば、健康上の理由とだけ説明し再び病気療養に入り、その後CEOを退任した。 家族は妻のローリーンさんと子供4人。 テクノロジー業界における計り知れない功績はもとより、エンターテインメント業界においてもジョブズ氏は同じく画期的な役割を果たした。アップルを世界最大規模の音楽ストアへと変ぼうさせ、ピクサー・アニメーション・スタジオ(後にウォルト・ディズニーに売却)の投資家、およびCEOとしてコンピューターグラフィックス(CG)アニメの人気拡大に一役買った。インターネットの使用方法や音楽、テレビ番組、映画、書籍の楽しみ方を変え、その過程で業界再編をもたらした。 ディズニーのロバート・アイガーCEOは5日、声明で「あれだけのことを成し遂げたが、彼がまだ何かを始めたばかりのような気がしてならない」と述べた。 ジョブズ氏は近代ビジネス史上まれにみる見事な復帰も果たした。アップルを11年間離れ、一度は過去の人としてほぼ忘れ去られていたにもかかわらず、ディスプレー一体型デスクトップ機「iMac(アイマック)」やアイポッド、楽曲配信ストア「iTunes(アイチューンズ)」などの製品やサービスを投入し、苦境に陥っていた会社を見事によみ返らせた。 年間売上高は1997年度の71億ドルから2010年度には652億ドルに拡大した。消費者向け電子機器デザインで世界最高峰の企業となり、その守備範囲はパソコンだけにとどまらないことを示すかのように07年1月に社名から「コンピュータ」の文字を外した。 ジョブズ氏は公式には8月に長年の右腕であるクック氏に指揮権を譲り渡しているが、その死は、ジョブズ氏の先見性と指導なしにアップルがいかに成功を維持するのか、という重大な疑問を生じさせる。 ウォルト・ディズニーやウォルマート・ストアーズ、IBMなどの他の米国資本主義を象徴する企業の場合、カリスマ的創業者を失った直後は多少混乱があったものの、最終的には何とか切り抜けている。 だが、アップルほどの地位の会社で創業者に著しく依存している、あるいは創業者がキャリアのピークに死去した例はほとんどない。ジョブズ氏が85年にアップルを事実上追放されてから数年後、同社の業績は徐々に傾き始め、やがてコンピューター業界の隅に追いやられてしまう。それがようやく好転したのはジョブズ氏が97年に復帰してからだ。 部下や部下のアイデアが気に入らないと「まぬけ」と怒鳴りつけるなど、その気難しい経営スタイルにまつわる逸話も事欠かない。 マイクロソフトやグーグル、アマゾン・ドット・コムなどのライバルに対してはさらに闘争心をむき出しにした。アドビ・システムズが10年4月にアイフォーンとアイパッドがアドビの動画技術「フラッシュ」に対応していないことを批判するキャンペーンを打ち出したときは、1600語のエッセーをしたため、いかにフラッシュが時代遅れで携帯端末に不向きかをとうとうと語った。 ハードウエアとソフトウエアに関する品質基準にも妥協は一切なかった。顧客がそのスタイリッシュなアップルストアに一歩足を踏み入れた瞬間から、「常識を覆すほどの優れた」美しさと使いやすさを感じられる製品を要求した。開発やデザイン過程における細部に至るまでのこだわりがアップル製品の最も際立った特徴の一部を実現し、自ら壇上に立って行う入念に計画された新製品のお披露目は他に類をみない熱狂を世間に生み出した。 新製品発表後のイベントで、ジョブズ氏はよく「もう1つあった」といたずらっぽく言いながらスピーチの最後の最後に最も重大なニュースを明かした。新製品への期待をあおるための戦略として、従業員には秘密厳守を強いた。 ジョブズ氏は1955年2月24日に生まれ、生後すぐにカリフォルニア州パロアルト在住の夫婦に養子として引き取られた。大学中退後、1976年に21歳で友人のスティーブ・ウォズニアック氏と自宅のガレージでアップルコンピュータを創業、若くしてテクノロジーイノベーターとしての評判を確立した。 1984年にディスプレーと一体になった独特のデザインのパソコン「Macintosh(マッキントッシュ、通称マック)」を発売。これが、コマンド入力ではなくマウスでアイコンをクリックして操作する、現代のパソコン向け基本ソフト(OS)の基準となった。 マックのアイデアの多くは1979年にゼロックスのパロアルト研究所を訪れたことがきっかけで生まれた。その研究所でジョブズ氏は、「Alto(アルト)」という名のコンピューターに出会い、現在のグラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)とマウスの原型となるものを目にする。このエピソードは幾度となく既存の発明を洗練・普及させてきたジョブズ氏の手腕を物語るものだ。 ジョブズ氏はかつて90年代半ばの米公共放送PBS制作のコンピューター業界に関するドキュメンタリー番組で、「ピカソはかつて『偉大な芸術家は模倣せず盗む』と言った。わたしは偉大なアイデアを盗むことに恥じらいはない」と語っている。 ジョブズ氏はその見た目からして会社経営者というよりは、芸術家といったイメージを作り上げようとしていたようだ。リーバイスのジーンズに黒のタートルネック、ニューバランスのスニーカーというお決まりの服装以外で公の場に現れることはめったになかった。 ジョブズ氏を知る人たちは、彼が絶えずイノベーションを達成できた理由の1つは、過去の功績や遺産にあぐらをかくことなく常に前を見続け、それを部下にも要求したからだと話す。 その証拠に、元アップル社員の外村(ほかむら)仁氏は、1990年代後半にジョブズ氏が復帰したあと、カフェテリアに展示してあった、かつてアップルコンピュータが最初に作ったパソコン「Apple I(アップルワン)」が、いつの間にか撤去されていたことがあったと語った。 「自分もいつかは死ぬ。これを常に念頭に置いておくことが、何か失うのではないかという考えにとらわれないための一番の方法だ」 ジョブズ氏は05年6月に米スタンフォード大学の卒業祝賀スピーチでこう語った。その約1年後、がんと診断された。 記者: Yukari Iwatani Kane and Geoffrey A. Fowler 2011年 10月 6日 17:59 JST < 前のページ次のページ >
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